資格取得サラリーマンの気まぐれblog

Kachi's Blog

配られたカードで勝負する。それが人生だ。

【遺産は不要】両親からの最高の贈り物は「教育」

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どうも!資格取得サラリーマンのKachiです!

新型感染症が猛威を奮っていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

なかなか外出できないため、私は家にいる時間が多くなっています。

時間ができると色々なことに考えが及ぶのですが、以前友人に遺産相続の相談をされたことを思い出しました。

「あまり俺たちに残してくれるお金がないらしい」と悲しそうな顔をしていましたが、個人的には自分の両親からの遺産はいらないと思っています。

詳細は後述しますが「今まで教育に十分な投資をしてくれたから」です。

教育への投資がなければ今の自分はないとすら思っています。

今回は私の生い立ちに触れながら、教育の重要性について考えてみました。

少しでも興味のある方は最後まで読んで頂けると幸いです。

それでは、さっそくいってみましょう!

この記事を書いた人
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Kachi@資格取得サラリーマン(子育て1年目)

 

早稲田大卒⇨1部上場企業の営業マン。仕事・家事・育児・資格勉強の両立に挑戦中。

日々の学びを週2回ブログで発信しています。目標は士業として独立すること。

アメックスプラチナの特典を利用して、家族と優雅な休日を過ごすのが趣味。


【取得済み資格】
・行政書士
・ビジネス実務法務検定2級
・FP技能士2級
・AFP(ファイナンシャルプランナー)
・ITパスポート

【勉強中の資格2021】
・社会保険労務士
・簿記2級

 

 

高校までは地方公立校

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私は地方の生まれで家の周りが森に囲まれているようなド田舎で育ちました。

近くにコンビニもなければスーパーもありません。

車がなければ生活できないような地域です。

小中学校まで徒歩で1時間、高校まで自転車と電車を駆使して1時間30分ほどかかりました。

天気の悪い日や真夏は大変でしたね。笑

 

ド田舎には私立の学校なんてありませんので、小学校から高校まで公立校へ通学していました。

大人になってわかりましたが、かなりヤンチャな学校でした。

小学校はまだマシでしたが、中学校に入ると勉強している友人はほぼ皆無。

たいていはヤンキーの先輩グループに入って悪い遊びをしていました。笑

当初は私も「部活」と「遊び」に全力投球で、勉強なんて全くしませんでした。

 

 

転機となったのは中学2年生くらいですかね。

高校受験を見据えて志望校を調べる授業がきっかけだと思います。

各高校の卒業後の進路に目を通すと、東京大学の合格者を輩出している高校が1校(以下、A高校)だけありました。

たいていは地元企業への就職となっている中、ド田舎から国内で最難関の大学へ合格した人がいると知り衝撃を受けたのです。

 
 
東京大学へ進学すれば何にでもなれるんだ!

 

と無駄に興奮したのを覚えています。

当時の私の偏差値は45前後だったのですが、A高校の偏差値は65前後。

志望校を話すと、友人からも先生からも「それは流石に無理でしょ」と馬鹿にされました。

この無謀とも言える目標に真剣に向き合ってくれたのが両親です。

「諦めなければ絶対合格できる。その代わり死ぬ気で勉強しろ。」を背中を押してくれました。

そこからは学校の授業と並行して通信講座の勉強を開始しました。

直前まで、合格判定はD〜E判定でしたが、諦めずに勉強を続けた結果、なんとかギリギリで合格を手にしました。

大学は私立へ進学

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https://www.waseda.jp/culture/news/2020/04/30/10381/

念願のA高校へ進学すると、周囲の環境は今までと一変しました。

中学校までは勉強しているだけで「ガリ勉」と馬鹿にされていましたが、A高校では「勉強していない」方が馬鹿にされるような環境だったのです。

各中学校の成績上位層が集まってくるので当然といえば当然ですが、正直びっくりしてしまいましたね。

中学校では自分が成績トップ層だったのに、A高校に入学した途端、下から数えた方が早かったのですから。笑

 

授業について行くのが精一杯で、大学受験なんて考える暇もありませんでした。

そうこうしているうちに高校3年生になってしまい、いよいよ大学受験へ本腰を入れる時期となりました。

ここで衝撃だったのは、大学受験のレベルの高さです。

 
 
A高校は東大合格者を出しているから自分も大丈夫でしょ

 

と思っていた甘い考えが見事に打ち砕かれました。笑

ド田舎の中ではそこそこ優秀な高校でしたが、全国で見れば全然大したことなかったのです。

例えるなら高校受験は県大会、大学受験は全国大会といったイメージでしょうか。

どう考えてもあと1年で東大合格まで持って行くのは無理があるだろうと考えて、私立大学へ照準を絞ることにしました。

 

恐る恐る両親へ相談すると、「自分がいきたい大学ならどこでも目指していい。お金の心配するくらいなら自分の学力を心配しろ!笑」との返答が。

決して裕福な家庭ではないので学費が大きな負担になるにも関わらず、明るく背中を押してくれた両親には感謝しかありません。

中途半端な結果には終わりたくないと決心し、「早稲田大学」「慶應義塾大学」を第一志望としました。

 

そこからの1年間はあまり記憶がありません。

起きている時間は全て勉強に注ぎ込んでいました。

試験日当日のこともあまり記憶がなく、合格発表日に両親と抱き合って喜んだところから記憶が復活しています。笑

運よく大企業から内定をもらう

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第一志望である「早稲田大学」へ進学することとなりましたが、ここでの問題は高額な学費です。

入学金と合わせて年間120万円前後の出費となります。

加えて、上京するに当たり下宿費や生活費が上乗せになりますので、年間200万円近い出費です。

またしてもギリギリでの合格でしたので、好条件の奨学金は借りることができませんでした。

借りれる奨学金を借りて、社会人になってから返済しようと思っていたところ、両親から「学費はこちらで払うのでしっかり勉強してください。」と一報が。

 
 
自分でなんとかしたい

 

と思っていましたが、ありがたく甘えることにしました。

ド田舎からいきなり東京で1人暮らしとなり、色々不安すぎでバイトどころではなかったからです。

 

しかし、「慣れ」とは怖いものです。

あれだけ両親に感謝して勉強をしていた自分はどこへやら、東京での生活に慣れた途端、勉強はそっちのけでサークル・バイト・ゼミ...etcと大学生活を謳歌していました。

社会人になった今、いい経験になったなぁとも思いますが、もっと勉強しておけばよかったとも思う、複雑な心境です。笑

 

そうこうしているうちに、あっという間に就活の時期になりましたが、遊びまくっていたせいで完全に出遅れました。

手当たり次第に先輩や友人からアドバイスをもらって就活を開始した頃、周囲の友人は複数社から内定をもらっていたからです。

 
 
完全に出遅れたし就活浪人かなぁ

 

とダメもとで手当たり次第に大企業に応募しました。

「どうせ落ちるから」と思っていたのですが、なぜか書類選考はどんどん通過していきました。

俗にいう学歴フィルターでしょうか。

真相は不明ですが、とんでもなくテキトーなエントリーシートなのに、名だたる大企業の面接選考へ進めたのです。

個人的には大学のネームバリューのおかげだと思っています。笑

最終的には運よく第一志望から内定をもらうことができ、今日に至っています。

まとめ

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自分の人生を見つめなおした時、転機となったのは高校受験だったなぁと思います。

あそこで勉強を頑張っていなかったら、周囲と同じように地元企業に就職していたでしょう。

東京に住むこともなかっただろうし、日本全国に友人ができることもなかっただろうし、日本を代表する大企業に勤務することもなかったと思います。

そして、社会人になってから特に不自由なく暮らせているのは「奨学金の返済がないこと」が非常に大きいです。

大学4年間で数百万円にもなる学費を両親が負担してくれたからです。

もし両親が教育に後ろ向きで、勉強なんかしなくていいという姿勢だったら今の自分はないと思います。

自分でなんとか生きていけるようになったわけですから、遺産なんていりません。

私に残すくらいなら両親で自由に使いきって欲しいと心の底から思っています。

私も親になった今、自分の子供には「お金」でなく「教育」を残してあげたいですね。

「お金」は使えば無くなりますが、「教育」は絶対になくならないからです。

両親に感謝をしつつ、これからも頑張っていきたいと思います。

では、また!